
1897年 住友伸銅場開設(住友電工の創業)
「自利利他、公私一如」から始まった住友电工
日本が近代化へ大きく舵を切りはじめた明治时代、住友の事业は、别子铜山の繁栄とともに电线、林业、石炭、建设、机械、化学、金属工业など、さまざまな分野へ进出していった。
当社のルーツとなる住友伸铜场は1897年に大阪に诞生。日清戦争后の不景気で穷地に陥っていた日本製铜㈱を、「国家の近代化に不可欠な铜製品を絶やしてはならない」との思いから住友が买い受けて开设した。
一方、住友は、田畑山林を枯らし続ける爱媛県新居浜の铜製錬所の烟害対策に自ら取り组み、巨额の投资により全ての製錬所を新居浜冲の无人岛(四阪岛)へ移设する。殖产兴业が加速する一方で発生した公害问题を、民间自らの手で解决した例は他にはなかった。
「住友の事业は、住友自身を利すると共に、国家を利し、且つ社会を利する事业でなければならぬ。」现在まで脉々と受け継がれる住友事业精神「自利利他、公私一如(じりりた、こうしいちにょ)」のあらわれである。